Brionglóid
海賊と偽りの姫
『天空の蒼 』の海賊たち
02
「冗談だろう!?」
その反応も想定内だったとでも言うのか、ルシアスの無表情は崩れることはなかった。葡萄酒の入った高脚杯を傾けながら、さらりと告げる。
「冗談なものか。旅籠じゃあるまいしこの船に客室なんかない。そして船内で一番まともな場所が、ここだ」
至極もっともな話だ。
海賊船にいつ来るかもわからない客用の部屋なんて作る余裕があるなら、その分食料や弾薬を積み込んだほうがいいに決っている。
そして、一番まともなのが船長室であるということ。これはどんな船にも共通して言えることだった。
一部の高級船員には狭い個室が与えられているが、ほとんどの者は下層甲板での共同生活だ。大砲の上に釣床を吊るして寝起きするのも普通のことだった。
そういった船で相手を船長室に迎え入れるということは、客に対する最大級のもてなしでもあった。ライラもそれは理解している。
しかし、感謝の気持ちと同時に湧き出る抵抗感を、どう説明すべきか。
(「ライラ・マクニール・レイカード」ならば、この程度のことは軽くこなさなければならないのだろうけど)
男ばかりの環境で女が自分一人というくらいならまだ何とかなりそうだが、異性と二人きりで何日も同じ部屋で寝起きするとなると、話は別だ。そこまで自分をごまかし続ける自信がなかった。子供の頃から培われた倫理観というものは、そう簡単には崩せないものらしい。
それだけではない。
相手はこのルシアスだ。普段から抜け目のない彼のこと、一緒にいる時間が長ければ、胸の奥底に仕舞い込んだものまで暴かれてしまいそうだった。
(本当に、冗談じゃない)
「私は皆と同じ所でいい」
できるだけ毅然と聞こえるように、ライラは言った。
「野宿にも慣れているくらいなんだ。そんな贅沢は必要ない」
「ライラさん。そっちのほうがいろいろとまずいっす」
複雑な表情でそう言ったのはリックだった。その言葉に、ルシアスも同意した。
「贅沢とかそういう話じゃない。お前は良くても他の奴らが気を遣う。お前とていずれ支障が出るはずだ」
「……」
ライラは無意識のうちに下唇を噛んだ。
もちろん、彼の指摘する内容がわかっていないわけではないのだ。大勢の男の中に若い女が一人というこの状況だって、充分おかしいのである。そこには、ルシアスと同室で過ごすのとはまた別の問題があった。
しかもライラは船長の客だ。男達に気を遣うなというほうが無理な注文だろう。
今回はそう長くない航海のようだが、だから大丈夫ということでもない。『天空の蒼』は統率がよくとれているとはいえ、無用な火種は撒くべきではなかった。
「……わかった。では、船倉の一郭を貸してくれないか。今夜からそこで寝る」
「船倉っ?」
ライラの言葉に、リックが素っ頓狂な声を上げた。ルシアスもさすがに苦い顔になる。
「お前、正気か? あんな所、人間が寝起きする場所ではない」
「釣床を吊るせばなんとかなる。助けてもらった上、さらに皆に迷惑をかけたいわけじゃないんだ」
「許可できない」
自分なりの譲歩を一蹴され、むっときたライラはつい立ち上がって声を荒らげてしまった。
「じゃあどうしろっていうんだ。帆桁の上で寝ろとでも!?」
「まあ、待てよライラ」
落ち着いた制止の声は、まだ入り口に突っ立って様子を眺めていたハルのものだった。
ここにいる中で最年長である彼は、こんな空気の中でも悠然としていた。
「いろいろ思うところはあるだろうが、ここはひとつ、折れちゃくれねぇかな。お前だって、本気で船倉なんかで生活したいわけじゃないだろ?」
「ハル……」
ハルは立ったままのライラに歩み寄り、肩を軽く叩いて再度座るように促す。
「確かに船倉だったら誰もいねぇよ。しかしな、暗いしジメジメしてて空気は悪いし臭ぇし。日が経てば鼠だけじゃなく、船虫やら蜚蠊やら、得体のしれないものがいろいろ湧いてくるぜ?」
「……っ」
ライラはぎくりと身体を揺らした。ある程度わかってはいたものの、実際に現場をよく知る人間に言われると真実味が増して聞こえるのだ。
そんなライラに、ハルは人の悪い笑みを浮かべてみせる。
「もちろん砲列甲板もな、俺らもお行儀のいい野郎ばっかりじゃねぇんだ。つまり、お前がこの部屋で寝起きするのが、お互いにとって一番平和なんだよ」
「そ、そんな……!」
「けどまあ、無理もねえよな。四六時中この陰気な男と顔つき合わせてなきゃならねえなんてよ。だから一応、仕切りくらいは作ってやろうと思ってな」
彼が抱えていた帆布はそのためのものだったらしい。
風をはらむための布地は厚く丈夫なものだった。もちろん、隔壁に比べたら心もとないことこの上ないが。
「……決まりだな」
やりとりを見ていたルシアスが、ぽつりと言った。ぎょっとしてライラは彼のほうを振り向く。
「ルース! 私はまだ……!」
「悪いが決定事項だ。俺にとってはお前の恨み言よりも船内の統率のほうが重要なんでね」
「おう。話はまとまったな。じゃ、俺は後でまた来るわ」
ほら行くぞ、とリックを小突きながら、ハルはさっさと立ち去ってしまった。
扉が閉まった途端、急に甲板からの喧騒が遠くなり、残された二人の間に気まずい静けさが漂う。
(いや、気まずいのは私だけかもしれない)
ライラはルシアスのほうに視線を向けた。
ルシアスは相変わらず平気な顔で食事をしていて、気にもしていないようだった。
相手が初心な生娘ならともかく、独りで各地を旅するライラ・マクニール・レイカードである。今更男とふたりきりになるくらいで狼狽えるはずもないと、たかを括っているのかもしれない。
そうでなかったとしても、彼にとって重要なのは、自分でも言っていたように船内の統率なのだ。ライラの気持ちなどどうでもいいのだろう。
もちろん、部外者の要望がどこまで聞き入れられるかはわからないが、全て勝手に決められるのも腹が立つ。せめて、こっちの話を聞いてくれたっていいじゃないか──そう思ってライラが一言言ってやろうと切り出す一瞬前に、口を開いたのはルシアスのほうだった。
「不安な気持ちがわからないわけじゃない」
葡萄酒の瓶を自ら傾けて継ぎ足しながら、ルシアスはこちらも見ずに淡々と告げた。
「事前に説明しなかったのも悪かった。だが、航海は何が起きるかわからないことがある。何かあったときに、目につく所にいてもらったほうが助かるんだ。俺も、乗組員達も」
「……」
彼のその静かな声に、ライラは文句を言う機会を逃してしまった。
ルシアスの声は耳障りがよく、荒げることがなくても相手に聞かせてしまう不思議な響きがある。抗議するつもりだったライラの気持ちも、いつの間にか削がれてしまった。
「ここが船内で一番マシな場所だというのも本当だ。船倉なんてのは、捕虜や船内で罪を犯した者を隔離しておくような場所だ。そんな所に住まわせるわけにはいかない」
「どうして……」
「ん?」
思わずライラの唇からこぼれ出た声に、ルシアスがようやくこちらを見る。
「どうして、私にそこまでしてくれるんだ。一応敵同士だろう、私達は」
すると、ルシアスは小さく苦笑を浮かべた。
「今更なことを……。その敵に助けを求めたのは誰だ?」
「あ、あれはっ、あの場では他に手がなくて、仕方なく……!」
「まあ、そうだとしてもだ。こちらも賊とはいえ外道にまで堕ちたつもりはない。引き受けた以上はお前は俺の客なんだ」
その言葉を聞いて、ライラは先ほどの自分の無茶な我が儘を恥じた。
そうなのだ。これは我が儘になってしまうのだ、海上にあっては。
そしてルシアスの言うことは横暴ではなく、配慮だった。陸とは理屈が大きく異なるのだと、ライラは今になってようやく理解した。
船倉なんて、勢いだけで口走ってしまっていた。しかし自分の倫理観とやらは、ここでの規律を無視したり、彼の厚意を無下にしてまで死守する価値があるのだろうか。
ライラが黙って俯いていると、ルシアスが再び口を開いた。
「同室だからと言って、別に妙な真似もするつもりはない。船長という立場も、ふんぞり返ってればいいというものではないからな。俺は起きて仕事してるか外に出ているから、ほとんど部屋にはいないようなものだ」
だから安心しろ。
さらりとそう言って、さっさと食事を再開したルシアスの顔を、ライラはぼんやりと見つめた。
いつもどおり、表情の乏しい顔。浅黒い肌は紅潮することも青褪めることもないのだろう。端正なその顔は、時折何を考えているのか本当に読めないことがある。
だが今は、その思いの一端がわかったような気がした。
(私の恨み言よりも船内の統率だなんて言ったくせに)
もちろん、統率も大事なのだろう。ハル達の前でルシアスがあからさまにライラの心配などすれば、余計な波風が立ちかねない。
それは乗組員達への影響もあるだろうし、ライラの心情も慮ってのことでもあるだろう。彼は集団をまとめあげる頭領として、可能な限り公平な判断をしなくてはならないのだ。
酒を飲み女を抱いて自由気儘に生きていけたらいいし、陸の酒場ではそう法螺を吹いている自称海賊も見受けられる。
けれど、実際の船上生活がそんな単純なもののはずがない。
(彼は……彼らは、こうやって生きてきてるんだな)
帆船という閉鎖空間での生活。そこには、ライラの知らない工夫や知恵が、たくさん詰まっている。
ライラは強く興味を惹かれた。ここは本当に、陸とはまったくの別世界なのだ。
そう納得する反面、少し悔しい気持ちが出てきた。
ライラはこの船にいる間は、「何もできない、世間知らずのお嬢さん」でしかない。彼は船長室の一郭を提供し、つつがなく航海を終えるまでライラを丁重に隔離するつもりなのだろう。
少しどころか、非常に面白くない。
「……ほとんどって、ちょっとはいるってことだろう」
ライラが悪態をついてみせると、ルシアスは呆れたような目で再びライラを見た。
「当たり前だろう、俺の部屋なんだから」
何を今更、とでもいうようなその顔に、ライラはにっこりと微笑んだ。
「私も何か仕事が欲しい。毎日お前の顔を眺めるだけじゃ、退屈だからな」
ルシアスは一瞬驚いた様子だったが、すぐに諦めたような溜め息をついた。
「わかった。手配しよう」