Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海賊との再会

06

 更に夜が更け、街の盛り上がりも最高潮に達しようという頃、反対に港は静かだった。
 行き交う人々の影もざわめきも、荷を運ぶ人足達に檄を飛ばす監督の濁声も今はない。
 誰もいなくなった波止場の石畳は、日中の強い日差しに焼かれた熱をまだ少し残していたが、涼し気な潮風がそれを労るように撫でていく。係留された小船を繋ぐ縄が、ゆったりと打ち寄せる波に揺られてかすかに軋んだ。
 漣は空に浮かぶ月の光を拾って、夜の闇の中で人知れず小さな輝きを放ち続けている。

 その音楽的な光景に誘われたかのように、遠くからヴィオロンの音色が響いていた。

 音の出処は『天空の蒼(セレスト・ブルー)』の所持船、カリス=アグライア号の甲板(デッキ)である。
 角灯(ランタン)に火が灯り、また海面がそれを映し出して、暗く闇に沈んだ波止場の中でそこだけほんのりと明るかった。
 海賊達は皆、エールの入った杯を手に車座になり、あるいは帆柱(マスト)に寄りかかったりして一点を見つめていた。

 円の中心では、一人の踊り子がくるくると舞っている。
 胸と腰回りを辛うじて覆う真っ赤な衣服の上に、紗のような橙色の薄布を幾重にも重ねた華のような衣装だ。大きく開いた襟ぐりからむき出しになった肩は、日焼けで健康的な色をしていた。

 滑らかな肌には汗の雫が細かく煌めき、その上をかすめるように、長い黒髪が時々角灯(ランタン)の光を返しながら揺れ動く。軽やかに舞う様は溌剌としていたが、ちょっとした仕草や眼差しが蠱惑的で、見ている内にいつしか引き込まれてしまうような踊りだった。

 伴奏は、楽器の弾ける乗組員が奏でるお世辞にも上手いと言えない音だけだったにも関わらず、踊り子は駒のように踊り続ける。足首と手首につけた鈴を鳴らし、時折拍子を取ってやって逆に音を誘導さえしていた。
 海賊達は曲に合わせて手拍子をし、軽く囃し立てはするものの、下卑た野次を飛ばすこともなく舞を楽しんでいる。しかし、その場にティオや、頭領たるルシアスの姿はなかった。

 ティオは、船の内部にある、とある船室の前にいた。
 すぐに中に入らなかったのは、閉じた扉の僅かな隙間から明かりが漏れていたからだ。先客がいるということである。
 控えめな声がけをしてから扉を開けると、そこにいたのはルシアスだった。

「頭領、いらしてたんですか」
「ああ」

 ルシアスは、さほど広くもないその部屋の、こぢんまりとした寝台の傍らに佇んでいた。手に持った角灯(ランタン)の明かりが、彼の影を反対側の壁に大きく映し出している。ティオが来たことで明かりがふたつになり、小さな部屋は一段と明るくなったが、ティオは自分の持っていた角灯(ランタン)の火を消した。

 寝台に横たわる相手への配慮である。
 真っ白な敷布の上には長い髪が散らばる。強い意志の光を絶やす事のない翠金石の瞳(スター・オリヴィン)は、今は瞼の奥に隠されてしまっていた。僅かに洩れ聞こえてくる甲板(デッキ)の音楽を背景に、ライラが穏やかな寝息を立てている。

「俺も様子を見に来たんですけど……どうですか、ライラさん」
「よく寝ている」
「そうですか」

 ルシアスの返答は素っ気ないものだったが、それでもティオはほっとした。彼と同様、寝台の横からライラの顔を覗きこんでさらに安心した。船に来た時こそこちらも動転してしまったが、この様子ならそのうち目を覚ますだろう。

 こうして寝顔を見てみれば、ライラも普通の女性だった。腕利きの賞金稼ぎなどというご大層な肩書きに隠れてしまいがちだが、実際は、自分とそれほど歳も離れていないのだと、ティオは改めて気づかされる。
 化粧気の無い顔立ちはもともと歪みの少ない造りで、やや目尻の上がった凛とした目許や、まっすぐ伸びた鼻筋が、彼女の気の強さによく合っていて大人びて見えるのかもしれない。ルシアスと並んでも引けをとらないくらいに。

 ちらりと、ティオは隣に立つルシアスを盗み見た。
 ルシアスは、深海色の眼差しをまっすぐ女剣士に注いでいた。眠るライラを見て、何を思っているのだろう。

 頭領はライラに気があるんじゃないか、とティオは日頃から疑っていた。
 最初のうちは、ライラのことを大勢いる賞金稼ぎのうちの一人だとしか、仲間たちも思っていなかった。とはいえ女子供を進んで斬る気はないし、ルシアスも面白半分に相手をしていたように見えた。
 それがいつの頃からか、ルシアスの面白がるような態度は相変わらずだったが、彼女の相手をしている時の彼は本当に楽しそうだ、とティオは気がついたのだ。

 ティオばかりでなく、他の仲間達もルシアスがライラを気に入っているのは薄々気づいているようだったが、どうも決め手に欠けていた。海賊らしく、力でもって手に入れるわけでもなく、行きずりの相手にするわけでもなく、偶然の再会に頼ったなんとも受動的な関係で今に至るのである。

 今回の一件で、ライラを保護するとルシアスが断言したことで、ティオは淡い期待を抱いていた。ライラは年頃の女性としては少々変わってはいるが、尊敬する頭領の相手として申し分ない人だと思う。この機会に少しでもいいから進展して欲しいと、切に願っているのだった。

「……静かになったな」
 ルシアスの呟きに、ティオは我に返った。
 言われてみれば、上からかすかに聞こえていた音楽が止んだようだった。そこで、ティオはもう一人の『翠金石の瞳(スター・オリヴィン)』の主のことを思い出した。

「そういえば、リスティーが気にしてましたよ。頭領の姿が見えないって」
「俺の事は気にするなと言っておいたんだがな。……わかった。行こう」
 ルシアスは、未練の欠片も無いような顔で寝台を離れた。

 部屋を出た頭領に後からついて行きながら、ティオは気づかれない程度の溜め息をつく。リスティーのことをすっかり忘れていた。彼女には、ライラがここでこうしていることを知らせてない。知ったらどうなるか、想像つくだけに気が重くなった。

「落ち着かない様だな、ティオ」
 少年の顔など見ずに、ルシアスは廊下を歩きながら言った。どきりとして、ティオは顔を上げる。
「え……っ」
「あの男のことが気になるか?」
 ルシアスが立ち止まり、振り返る。
「そ、それは、まあ……」
 ティオは曖昧に応える。気配だけで心まで読まれてしまったのかと、内心ではかなり焦った。

 ルシアスは時折、味方にすらそういう侮れなさを見せることがある。それは乗組員にわずかな緊張を敷くと同時に、彼に対する畏敬や信頼感をも植え付けていた。
 しかし確かに、惚れた腫れたの話などよりも今は重要な問題があった。ティオ自身がルシアスに報告を上げた件だ。

「間違いなく、『ロイ・コルスタッド』は近いうちにここへ来るだろう」
 ルシアスは静かにそう告げた。ティオも、意識を切り替えて口を開く。
「ええ、少なくとも今日明日中にこの船に来ると思います。居酒屋の件もあるし、昼間ライラさんが来た時も、大勢の人達に見られてるし……『翠金石の瞳(スター・オリヴィン)』を追ってるなら、いずれにせよここへ結びつくはずですから。でも、何でヴェーナの人間が……」

 アリオルの街を走り回ってかき集めた情報の中に、こんなものがあったのだ。翼を持つ双頭の獅子の記された銀の紋章をつけている男が、『翠金石の瞳(スター・オリヴィン)をもつ娘』を探している、と。その紋章とは、魔法都市ヴェーナに所属する者の証だった。

 ヴェーナはエディル大陸の南部に位置する小国規模の大きな街である。元は不毛の土地だったという場所に、一夜のうちにして出来上がっていたという(いわ)くつきの街でもある。そんな由来を語られるくらいなので、まず他国と違って国王などの支配者が存在しない特異な場所だった。

 ヴェーナは魔導と呼ばれる不思議な力を持った者が集う街として知られ、魔法都市の異名を持っていた。実際に、敷地内では常人に理解し得ない現象が数多く起こるため、街は高い塀と結界によって他と隔てられている。半面、この街にはあらゆる学問に関する機関が置かれており、その門は広く開かれ、各国の人材育成に貢献していた。そうすることで、何処の国にも属さない中立の立場を明確にしているのである。
 しかし、今やどんな国の内部にもヴェーナの出身者がいる有様で、街といえども影響力は計り知れない。ヴェーナがその気になれば、自由に国を指定して戦争させることすらできるとも言われている。

 一方でヴェーナは、魔導を修めた者をギルドに登録させ、魔導の行使によって自然の秩序が乱れないよう監視していた。監視者の一団は二種類あり、それぞれ『金月の杖』『銀月の剣』といった。銀の紋章は後者を示している。

 情報では、その男はライラが薬を飲まされた、つまりリスティーのいた居酒屋と無関係ではなかった。ここ数日の間に、何度か足を運んでいるのが確認されている。リスティーに会う為だったと思われるが、彼の目的は単なる『評判の舞姫』などではなかった。