Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海賊との再会

03

 アリオルというのは、西の果ての小国にありながらも存在感ある港街のひとつだ。
 くちばしのように海に突出した地形で、その先端部分に街があった。外海を行き来する船にとっては見つけやすく、それだけでも有り難い街である。
 街を東西に通って湾に流れ込む運河は物流に便利で、港で大型船の積荷を受け取るための艀船が早朝から忙しく動き始める。逆に、航海用の食料や水を積んで港に漕ぎ出す小船もいた。

 ここまでは他の港街と大きく変わらないが、アリオル最大の特徴は、大陸を横断する大陸公路の最西端にある街だということだ。

 国境をまたいで通るこの大きな街道は、古来から戦にも貿易にも使われてきた。普段はたくさんの隊商がここを通って各国を渡り歩いている。陸の商売の要、内陸の動脈部分と言っていいほど重要な道だ。

 その街道と海路とを繋ぐアリオルには、目利きの商人達が異国の珍しい品物を求めて年中溢れかえっている。いくらリズヴェルが小国で、内陸側の国境を取り囲むように大国スカナ=トリアに隣接しているとしても、何とか対抗できるくらいの財力をこの街ひとつで稼ぎ出していた。
 もちろん、エディル大陸の北部と南部を行き来する船にとっても、西側の中継としてなくてはならない港なのだった。

 その、アリオルの港に泊まっている多くの船の中で、一際目につく船があった。
 船の方々に掛けられた角灯(ランタン)は、北の国アルジール製の豪華なもので、船首には金色に輝く海と美の女神テテューシアの像が取り付けられている。柱や手摺などに細かな意匠が施された船体は、長い年月を経て飴色の深い色合いを出していた。風になびく船旗は目の覚めるような濃紺。真夏の天穹の色、『天空の蒼(セレスト・ブルー)』。その佇まいは外航に耐えうるようがっしりしており、船腹には大砲用の四角い窓が大小ずらりと並んでいる。

 出港が近いのか、いくつもの艀船が船にやってきては荷を渡し、波止場へ取って返すといった光景が朝から何度も繰り返されていた。
 波止場では、乗組員が艀船の人夫達にあれこれと指示を出している。しかし今、大の大人達に対して細かく注文をつけているのは、どう多く見積もっても十代半ばより上にいく事はないであろうという少年だった。

 よくよく見れば、彼の他にも何人かの少年達が積荷を確認したり業者と交渉したりしている。貧しい家の子供が日雇いの下働きとして乗船することはままあるが、それにしては人数が多い。この船では、少年達は大人に混ざって当り前のようにきびきびと働いているのだった。

「……あれ?」

 この日の積荷の確認を任されていた『天空の蒼(セレスト・ブルー)』年少組リーダーこと、ティオ少年がその人影に気づいたのは、昼時を小一時間ほど過ぎた頃であった。
 強い日差しが照らす中、忙しなく行き交う人の間にやたらと目を引く細身の人影があった。よろよろと、頼りない足取りでこちらに近づいてくる。この陽気だというのに、身体をすっぽりと包み込む旅人用の外套を纏い、フードを目深に被っている。額に汗しながら、積荷を肩に担いで歩く荷役の男達は皆そでの短い夏服だったり上半身裸だったりする中で、その人物は明らかに浮いていた。

 この船を見て、自分達を金持ちか何かと勘違いした物乞いだろうか。杖のようなものをついているが、結構上背があるのが見て取れた。
 そしてだんだんとその人物が近付いてくるに連れ、その杖のような物の正体が判った。

 あれは鞘に収めた長剣だ。すると、あれはまさか。

「……ライラ、さん……? ライラさんだっ!!」

 思わずティオがあげたその声に、周りにいた他の少年達も一斉に彼女を見る。
「本当だ、……おい、誰か頭領呼べ!!」
 おっしゃ、と威勢良く答えて二人ほど海側へ伸びる桟橋へ走って行く。
 ティオは反対の、ライラの方へ向かった。残りの少年の何人かも彼に続いて走る。
 フードの下に覗く細い顎は、間違いなくあの女剣士のものだ。しかし、その様子がおかしい。

「ライラさあんっ!!」
 駆け寄ったティオがその両肩を掴み、その顔を覗き込んでぎょっとした。酷く顔色が悪かったのだ。

「ライラさん!? 大丈夫ですか、いったい何が……っ」
「ルースはっ……」
 肩で荒く息をしながら、ライラは掠れた声を吐き出した。
「ルースは、何処だ……っ!? あいつに話が……っ」
「い、今レイフが呼んでます。すぐ来ますから! それよりライラさん、どうしたっていうんですかっ」

 彼女の様子に気圧されつつもティオが問うと、ライラは一瞬はっとし、言葉を切った。目を伏せ、先程とは打って変わって抑えた声で答える。
「何でもない。気に、しないでくれ……」
「そんなこと言ったって、何でもないようには見えませんよ!」

 ライラは、今の自分がどんな状態か自覚していないのだろうか。いや、ごまかそうとしたくらいだから自覚はあるのだろう。ただ、自分達に弱みを見せたくないのかもしれなかった。
 とはいえ、言葉でごまかせる程度の状況ではすでにない。よくまあこんな身体でここまで歩いてきたものだと、ティオは呆れ半分怖れ半分で思った。途中で倒れたらどうするつもりだったのか。

 今のライラは顔全体から血の気が引き、脂汗が幾筋も流れて顎に雫を作っている。その整った顔立ちが悲惨さを更に煽っていた。よく見れば肩も手も小刻みに震えており、ここまでたどり着けたのがまさに奇跡に近いことだと表しているかのようだった。

「……もういい。退()け、ティオ。自分で行く」
「えっ!? ま、待ってください! 駄目ですよ、そんな身体で動き回っちゃあ……!!」
 しびれを切らしたのか、ゆらりと歩き出そうとするライラを、ティオは慌てて押し留めた。彼女の無茶は今に始まった事ではないが、かといって黙認するわけにはいかない。ここで無理をしてライラがもし死んでしまったらと、そう考えただけでティオはぞっと背筋が凍る思いだった。

 と、その時。

「あまり俺の部下を困らせないでくれないか、ライラ」
 うろたえるティオの背後から、落ち着いた低い声が飛んで来た。聞き慣れたその声に、ティオも安堵の表情で振り返る。

「頭領……」

 波止場を悠然と歩いてくる、黒衣の青年。クラウン=ルースの異名を持つ彼らの頭領、ルシアス・カーセイザーだった。
 ライラはフードを被ったまま顔を上げ、背の高い青年の顔を睨みつける。

 上から下まで全身黒ずくめというのは、何も服装に限った事ではなかった。腰に届く長さの黒髪に、それを耳の高さでひとつに束ねるリボンも黒。肌は褐色だ。潮焼けの赤みとは違って、南方出身者によく見られる肌の色である。
 丸みが少ない顎の輪郭や高すぎない頬骨、秀でた眉骨からすっきりとした鼻筋が通って、彫りの深い端正な顔を形作っている。やや上向きに伸びる眉や切れ長の目もとは、深海色の瞳と相まって涼やかどころか冷ややかな彩りをそこに添えていた。さらに、内面の自信と怜悧さが表情を一段と引き締めており、精悍で男らしい魅力を生み出していた。

 しかし創造の神とは、すべてを与えるほど寛容な存在ではないらしい。
 ルシアスには、感情の起伏が極めて少ないという大きな欠点があった。纏う色数の少なさに倣うかのように、彼自身も表情の鮮やかさからは程遠く、常に褪めた雰囲気を漂わせていた。
 実際薄情なのかどうかはともかくとして、少なくとも、ライラは彼が朗らかに笑う姿など見たことがなかった。

「珍しいこともあるものだな。お前の方から訪ねてくるなど」
 ルシアスは口元に微かな笑みを湛えて、からかうように言った。
「顔色が悪いぞ。無理をするなと以前から言ってあるだろうが」

 本当に心配しているんだかどうだか、判断し兼ねる程淡々とした口調であった。ティオに支えられながら、ライラは面白くなさそうな顔で言い返す。
「……油断、した。一服盛られたらしい」
「成程、それで俺の処へ来たのか。賢明だな」
 たった一言で現在のライラが置かれている状況を素早く把握したらしいルシアスは、そう言って目を細め、さっきよりもやや柔らかい笑い方をした。

 いくら薬を盛られたからといって、その辺の宿屋で無防備に熟睡してしまうのは危険だ。
 ライラのように若い女性なら尚更で、彼女の場合、別の理由もあった。