Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海賊との再会

01

 かの有名なクラウン=ルースの船が着いたという、そんな噂話をライラが聞いたのは、大陸の西の果てにある港街アリオルに入った直後のことだった。昼食を取るために立ち寄った、酒場の主人の世間話からである。

(またか……)

 ライラは思わず額を抑えて呻いてしまった。
 気の遠くなるほど広い海に、大陸は四つ在り、更に島々が点在して、そこに港街は数え切れないほど存在している。なのに何故、いったいどんな魔法を使って、自分の行く先々に出現するというのだろう、あの男は。この世界にあいつはいったい何人存在するんだと、本気で考えたくなる。

 クラウン=ルースとは、このエディル大陸の中では多分最も名が知れ渡っているであろう、海賊『天空の蒼(セレスト・ブルー)』の頭の呼び名である。傭兵くずれや破落戸(ごろつき)が海へと逃れて海賊になる場合が多い中、『天空の蒼(セレスト・ブルー)』は何十年も前から存在している、いわば老舗の海賊なのだった。

 ライラと現頭領であるクラウン=ルースとの付き合いは、悲しいことに短いものではない。一度目はともかくとして、二度目は偶然、三度目が正直ならば、四度目以降は腐れ縁といったところか。いずれにしても、あの男の側にいるとろくな事がないので、ライラとしては今回こそ、関わり合いになることなく街を出たいというのが偽りなき本心である。

「クラウン=ルースって名は以前から知っていたんだが、まさかこの店に来るなんてねえ。正直言って驚いたよ」

 店の主の何気ない一言に、ライラは果実酒の入った杯をつい取落としかけた。幸い、店の主の方はそんな彼女の様子には気づかなかったようで、先日仕入れた話のネタを披露し続けた。

「ほんの二日前の話だ。で、それほどすごい海賊ならどんなごつい野郎かと思ったら、これがさ、大変な色男だったんだよ。店の女どもが騒いで大変だったくらいさ」

 女ども、という割には現在給仕女(バーメイド)すら店内にはいなかった。昼間で客の少ない時間帯だからというのもあるだろうが、この手の店は大体上が安宿の振りをした娼館もどきになっている。酔っ払った客と彼に気に入られた給仕女(バーメイド)がそのまま二階に上がるのだ。泊り客の出てくる夕方以降に、女達も現れるのだろう。

 この街は湾に面しており、海へ続く運河が街の中心部を流れている。港で積荷を受け取った艀船が運河をのぼるため、川沿いには係留所が点在し、積み荷で商売する店も近くに並んで建つ。この店のように、その船仕事に従事する者を相手に商売をする店もある。そのせいか、陸路の旅人よりはもっぱら港にやってきた船乗りについての話題が持ち上がるのだろう。

 店の主は、一体何人の客にこの話をしたのやら、慣れた調子で話す。

「それで、上背があって、色黒でね。女みたいに腰まで髪を伸ばしてるんだ。妙に気取って澄ましてるもんだから最初は皆、何処か異国のお貴族様かと思ったらしいが、まさかあれが海賊の長とはねえ。……あ、もっと飲むかい?」
「え……? あの……」

 さっきからこの主人、やけに馴れ馴れしくて、さすがにライラも訝しく思った。

 止まり木に腰掛けたライラにべったりと張りついて、一方的に話しかけてくるのだ。他の客が来ると一旦離れはするものの、仕事を終えるとすぐに舞い戻ってきてしまう。そして彼女の注文した果実酒の瓶を手にし、まるで給仕女(バーメイド)のようにまめに継ぎ足してくるのである。最初のうちは昼時の客が少ないからとか、自分のような女の旅人が珍しいのかと思ったが、どうやら違うようだ。

(どういうつもりだ、この親父……)

 真意を見極めようと主人の目を覗こうとすると、相手はどう受け取ったのか、あからさまな作り笑顔を向けてきたので、ライラは僅かに怯んで目を逸らした。
 気を取り直すように一つ咳払いをして、改めて口を開いた。

「それで、ご主人。クラウン=ルースは、何か言っていたのか? その、いつまでこの港にいるのかとか、次に何処へ行く予定なのか、とか……」
「そういう話はしてなかったと思うが……何でそんなこと訊くんだい? ……ははあ、さては……」

 意味ありげな目を向けられ、ライラは訳も無くぎくりとした。その様子を見て取った店の主が、どういう解釈をしたのか、さっきとは別のニヤニヤしたこれまた不気味な笑みを浮かべた。

「あんた、クラウン=ルースに会いに行くんだろ」
「…………」

 逆である。

 ライラとしては、あらかじめ相手の予定を知っておけば、今回は奴と顔を合わせずに済むと思ったのだ。誰が好き好んであいつの顔をわざわざ拝みに行くものか。
 しかし、正直にそう言うわけにもいくまい。ははは、とライラは白々しい笑いを返すに留まった。

「やっぱりねえ。その若い身空で一人旅してるなんていうからどうかと思ったけど、何処の女も一緒だねえ。この辺りの女どももそうさ。とんでもない色男だって聞いて、みぃんな港まで見物に行きやがった。邪魔だってんで、他の船の連中に追っ払われたらしいがね」
 不快げに店の主は言った。苦い声には嫉みの色が滲み出ている。

 確かに、クラウン=ルースはこの男の持っていないものを殆ど持っていると言ってよかった。揺ぎ無い地位、大勢の部下、莫大な財力、若さ、身長、髪の毛。反対にルースが持っていないものはといえば、揺れないベッドぐらいなものだろう。

 ライラは、(くだん)の男の姿を思い浮かべた。大勢の仲間に囲まれながらも、何故か常に孤独を抱いているような、不思議な雰囲気を持つあの男を。

 クラウン=ルース。智謀に長け、剣士としての腕前も一流の彼。あれだけの能力があれば、陸で権力を手にすることも出来たはずだ。何故彼は、人のいる街から離れて海を行くのだろう。

 彼の詳しい身上はライラもよく知らないが、陸と海の差こそあるにせよ、当て所なく旅をする者同士、漠然と共感するものがあった。自分だって、今更堅気の生活に戻れと言われたところでお断りだ。剣を奪われ、まだ知らぬ異国の風から遠ざけられてしまっては、どんなに広い屋敷と豊かな生活を与えられてもそこは牢獄と変わりはない。大方あの男も、同じような理由で海を渡るのだろう。そういった部分では、あのクラウン=ルースという男の事を多少は理解できなくもなかった。

 そこでライラは、はた、と気づく。彼は、こんな場末の酒場に来るような男ではない。
 上流階級向けとまではいかないまでも、出す酒もそれなりに揃えた静かな店ならともかく、こういった大衆的な場所はうるさがって入らないのだ。ここに来るぐらいなら、船室で独り、秘蔵の蒸留酒を一杯引っ掛けていることだろう。

「ひとつ訊きたいんだが……、ルースは何の為にここへ来たのか、理由を言っていなかったか?」
 ライラがクラウン=ルースに興味を持ったことが気に入らないのか、店の主人は不機嫌なまま即答した。

「なに、女を買いに来たのさ」

 ライラは思わず目を瞠った。食器を磨くことに気を取られたりしなければ、店の主も彼女の反応に更に驚いたことだろう。
「奴も所詮ただの男だって事だろ。うちで一番の舞姫を、大金(はた)いて持っていきやがった。さすが天下の大海賊だよ、小市民が金に弱いって事、しっかり見抜いていやがる」

 その言葉に、ライラは更に違和感を覚えた。
 あのルースが金だけ置いて女を連れ去るなど、まず有り得ない話だった。何しろライラの知るクラウン=ルースとは、海賊のくせに、何事に対しても執着心を持たない男なのである。私情を捨て、組織のためにより確実な道を模索する慎重派と言えば聞こえはいいだろうが、偶に混ざる退屈凌ぎの気紛れ以外『天空の蒼(セレスト・ブルー)』の利益にならないようなことは一切しないという、およそ人間味に欠けた奴なのだ。その彼が、感情に任せて見初めた女を連れ去るなど、想像もつかなかった。

 が、クラウン=ルースとて健康な成年男子である。自分が知らないだけであって、案外そういうこともあるのかも知れないと、ライラは思い直した。相手も相当な美女だったに違いない。あのルースですら心を揺さぶられるほどの。

(けど、あいつがなあ……)
 まだ少し信じられないが、おかげで先程までの気の重さなど吹き飛んでしまった。

 顔だけはずば抜けて良いあの男に、相手が美女ともなれば、さぞかし船の中も華やかになっていることだろう。自分も知らない仲ではないし、そういうことなら顔見せついでに立ち寄るくらいはしてもいいかな、などと考えながら、ライラはそろそろ勘定を済ませようと立ち上がりかけた。

 と、そこでやっと、ライラは自分の異変に気づいた。視界がぐるりと回転する。目眩と頭痛が一度に押し寄せてきて、ライラはテーブルに手をついた。そのまま気を失わなかったのは、ひとえに彼女の精神力の賜物だろう。

「な……に……っ?」
 手足が痺れてくる。酒に何か入って……?

(ハメられたッ……)